学問の神

道真公は、5歳にして和歌を詠まれるなど幼い頃より聡明で学問に親しみ、さまざまな分野において卓越した才能をおもちでした。
数々の難関試験に合格し異例の早さで朝廷の要職につかれ、国家のために善政を尽くされました。
さらに歴史書や漢詩書などの編纂(へんさん)を手がけるなど、学問的、文化的功績を数多く遺されたことから、当代随一の学者、文人、政治家と称されており、

道真公の死後、そのお人柄や、学問分野に代表されるご事績を多くの人が慕い、「学問の神様」としての信仰が広がっていきました。

また、道真公は空海、小野道風とともに「書の三聖」と称えられたことから、「書道の神様」としての信仰も広まり、室町時代には文化的教養である「和歌・連歌の神様」としても慕われ、天神さまの掛軸や御画像を掲げた連歌会が数多く催されました。
江戸時代になると寺子屋制度の拡充により、「学問・手習いの神様」、「子供の守り神」として敬われるとともに、「天神記」や「菅原伝授手習鑑」など、天神さまを題材とした浄瑠璃や歌舞伎が数多く上演されました。

このように時代の流れとともに、天神さまがより身近な存在として親しまれ、「学問・文道の神様」として広く信仰されるようになりました。

至誠の神

当代随一の学者・政治家であった道真公は、天皇さまの厚い信任を受け、日本の発展のため誠心誠意尽くされ、多くの人々にご尊敬されました。
その後、政略により無実ながら大宰府に左遷されましたが、皇室のご安泰と国家の平安、またご自身の潔白をひたすら神々にお祈りされました。

やがてご逝去なされた後に、その誠心は天に通じ、朝廷でも罪なきことが証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」の神様の御位を贈られ、「天神さま」とご崇敬されるようになりました。

生涯一貫して誠を尽くされた道真公の清らかな生き方は、1,100年以上が経過した現代においても世の多くの人々に共感され、「至誠の神様」として篤く信仰されています。